第3話 いい母親になるため看護師の道へ。完璧にこなそうとしたが燃え尽きる

燃え尽きる

●仕事は、憧れ・母を支えるための看護師の道へ

「立派に生きるべき」と決意した母とのある会話 

大学卒業間近、

「女性は資格を取れば長く活かせるし安定するよ」との母のアドバイス

結婚後、家族が病を患ったり、親の介護が必要となった時、

真っ先に頼れる存在でありたい。

との思いもあったので、大学卒業後は看護師の道を選択しました。

この選択は心から湧き上がるものというより

昔から根付いている「いい子でいるべき」といった考えからでした。

「女性はいずれ、結婚し家庭に入るのだから、

生涯安定的に働ける看護師となって家庭を支えるべき」そう思い新たな道をスタートしたのです。

看護師としてのやりがいVS自分らしさ

本当の自分で活躍できている手ごたえがない

血のにじむような努力で救急看護師になった私

「あなたがいてくれたから頑張れた」

沢山のありがたい言葉ももらいました。

患者さんの病状が安定し、回復していく過程は、ひとしおに嬉しかった。

救急病棟に努めて2年目。

今の夫と結婚し、同時期に子どもを授かりました。

憧れの家族をもった暮らし・・・

喜びの一方で、「いい人でいるべき」という意識で、救急病棟で勤務を続けました。

(みんなに迷惑をかけちゃだめ)

まわりは妊婦であることを配慮してくれていたものの、

生死の境である救急現場では、全てを配慮するに難しい状況でした。

搬送された患者さんをストレッチャーに移動させたり、2時間ごとの体位変換・・・

肉体労働ありきの仕事に変わりありませんでした。

この状況が体の限界を超え

切迫早産のリスクで仕事はドクターストップがかかり強制的に休職。

安定し、少しずつ仕事に復帰したものの、妊娠28週目にして破水をして数か月の入院を強いられました。

出産直前にしてその数か月、歩行も許されずベッド上の絶対安静を強いられ

「本当に大切なものは何なのか」

人生観や生き方、家族に対する想いを何度も何度も思い返しました。

看護師として命に関わる現場にいたからこそ、

それは、とても感慨深い問いでした。


人生を振り返った時

「どれくらい家族に幸せと思える暮らしを提供できるだろうか」

「最期に自分らしい人生を全うしたって言えるだろうか」

何度も考えました。

そして何よりも大事したいのは

家族とのかけがえのない日々の暮らしでした。


でも

私の人生は

いつも切羽詰まっていて、余裕がない・・

頑張っても空回りの日々。

振り返れば

大切な家庭も、

私のストレスを解放する場所になっていました。

「家庭も仕事も完璧にこなさなければならない」という考えが私を苦しめ、

全てがキャパオーバーになっていたのです。


毎日をまじめに全速力で生きる!そこに力を注けば注ぐほど

素直に生活を楽しんだり、自分らしく生きられない自分がいました・・


幼少期に描いたあの幸せな未来は、

「やらなきゃいけないこと」だらけでパツパツになっていました…

そして、やっと生まれてきてくれた子どもにも

十分にかまってあげられない生活が続きました。

忙しさで家はモノとゴミで溢れかえる汚い空間でした。

家族と一緒にいる、そのひと時を大事に過ごしたかったのに、

夫に仕事の大変さや悩みを吐き出してばかり…

そんなガラクタだらけの家と

愚痴をこぼすだけの家族との時間が嫌で嫌でたまりませんでした。

だんだんと心も腐っていくような感覚もありました。


子どもには好きなことを自由にと思っても、

目の前にいる大人が毎日を辛く生きていては説得力がないと思いました。


やるべきことをこなそうとする一心で

気づくとやりたいことは埋もれていました。

トリセツ