第1話 いい家庭を作りたいと夢見る少女。温かな家庭と学歴競争の世界で刻まれたもの

憧れの家庭像

愛情豊かな家庭で育まれた家族に対する特別な想い

優しい両親がいる「家」が一番の居場所

私は、優しい両親のもとで育ちました。

私の母は人一倍子どもに愛情を注ぐ母でした。

父は母より17つ歳が離れていることが理由で私の祖母に結婚を反対され、

一方的に嫌われていました。

祖母は私の兄が生まれてから、家に遊びに来ることはありましたが、

一切父とは会話をしませんでした。

それでも祖母のため、年に2回旅行に招待する祖母想いの父でした。

私はそんな両親の温かさを肌に感じて育ったので

物心ついた頃から、

将来は父のような優しい人と結婚し愛情あふれる家庭を築くことを夢みていました。


家族は愛をもって守るべき存在であり、その愛情は何にも代えがたいもの」


そんな家族に対する特別な想いは、人生の大事な核となっていきました。

母の姿から習った「いい母親像」

私の母は、すべてを家庭のために捧げていました。

そんな母は、

お父さんが働いている分、母親が一人で家庭を支えるのよ」

「母親は、子どもの前ではいつも笑顔で、いい母親でなければならないよ」

とよく私に言っていました。

そんな言葉を聞いて、家族の愛情を感じながら穏やかに暮らせるのは

献身的な母のおかげだと納得しました。

それから私は

「母が家庭を支えるべき」というママを目指すようになりました。

「優等生のいい子でなければ、将来幸せになれない」

小学2年の時、算数で100点をとって母に喜ばれた経験から、

市内でも難関校合格率トップの進学塾に通いたいと親に話しました。

塾に通いたかったのは、親を喜ばせたい以外、特に理由はありませんでした・・・

勉強の出来は兄と比べられて、褒められるのが日常でした。

親に認められることが、私の一番の喜びとなっていました。

進学塾の講師陣は、答えを間違えた数だけ、教壇で尻をバシバシ叩くスパルタ集団でした・・

休憩時間も勉強するのが当たり前。夏休みも夜まで塾で過ごしました。


勉強でいい結果を出すにつれて、どんどん膨れ上がる、周囲からの期待。

それに応えるべく勉強に打ち込みました。


成績別に分かれたクラス、テストの出来を比較しあう同級生・・・


いつしか

「勉強ができる=人生の勝ち組だ」と勉強の出来で人生の良し悪しが決まる

と思うようになりました。

競争社会で勝ち組になるか、負け組になるか。

中途半端は許されないという意識が強く根付きました。

塾で特進クラスに入った私は、

親にどんどん自分をよく見せたいと思うようになりました。


「大人の意見は絶対的だ」とも親から言われていたので、

目の前にいる大人の言うことを愚直に守って、こなしていけば

将来苦労はしないと思っていました。


このまま人生は順風満帆だと思っていました・・・